ABOUT

60年代末、イギリスで産声を上げたロックバンド「レッド・ツェッペリン」。
ジミー・ペイジ(ギター)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース/キーボード)、ジョン・ボーナム(ドラムス)、ロバート・プラント(ヴォーカル)。
およそ12年間の活動の中で、彼らが起こした現象はまさに事件であり、予言であり、そして未来であった。
デビューアルバムでいきなり世界を熱狂の渦に巻き込んだバンドの出発点にはいったい何があったのか。
未公開のジョン・ボーナムの生前音声のほか、メンバーの家族写真や映像、初期のライブシーンなど貴重なアーカイヴ映像とともに、その知られざる歴史を語る証言者はオリジナルメンバーのみ!
さらに、部分的ではなく1曲まるごと演奏シーンを映し出すことで、私たちはまるでその場に居合わせたかのようにメンバーの声を聞き、当時のライブをリアルタイムで目撃した感覚になるだろう。
4人のメンバーとともに当時を再体感する、まさにユニークにして最高の没入型“映画オデッセイ”である。
今、音楽シーンに新たな「伝説」が誕生する!

Biography

Led Zeppelin

レッド・ツェッペリン LED ZEPPELIN

Led Zeppelin

1968年、イギリスのロックバンド「ヤードバーズ」に所属していたジミー・ペイジがロバート・プラント、ジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズに声をかけて結成。当初「ニュー・ヤードバーズ」として活動していたが、後に「レッド・ツェッペリン」へとバンド名を改める。ペイジによると、命名のアイデアはドラマーのキース・ムーン(ザ・フー)からもらったものとのこと。翌1969年、バンド名をそのまま冠したアルバム『レッド・ツェッペリン』でデビュー。以来、シングル盤発売に背を向け、コンセプチュアルなアルバム作りにこだわり続ける。ステージでは毎回、即興を交えての新たな音作りを標榜し、単純なレパートリーの反復を行わなかった。1980年、ジョン・ボーナムの急逝によりグループは解散。だが、その後も最も成功したロックバンドのひとつとして目され、人気を維持し、これまでに全世界で3億枚以上のアルバムを売り上げたといわれる。1995年に「ロックの殿堂」入りを果たす。

ジミー・ペイジ Jimmy Page

1944年1月9日生まれ。イギリス・ミドルセックス州出身。ギター担当。少年時代にアメリカのロックンロールにふれ、ロニー・ドネガンらに憧れる。小学生の頃からギターをたしなみ、ほぼ独学で習得。さまざまなアーティストのセッションに参加し、スタジオ・ミュージシャンとしてジェフ・ベック、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ザ・フー、ザ・キンクスらの楽曲にかかわる。1966年、ポール・サミュエル=スミスの脱退に伴い、ロックグループ「ヤードバーズ」に加入。当初はベース奏者として参加し、ほどなくしてギターを担当。友人のジェフ・ベックとともに同バンドでツアーをこなしていくが、やがてベックが脱退。1968年にはヴォーカルのキース・レルフ、ドラムスのジム・マッカーティ、ベースのクリス・ドレヤが次々に脱退。新しくバンドを組むつもりで、ジョン・ポール・ジョーンズ、ロバート・プラント、ジョン・ボーナムを誘い、「ニュー・ヤードバーズ」を結成。同年10月、ドレヤから「ヤードバーズ」名義の使用禁止を申し立てられ、バンド名を「レッド・ツェッペリン」に改める。デビューアルバムではプロデュースを担当。その後も、アルバム制作のポストプロダクションを担うなどして、グループでは楽曲制作の中心にあり続けた。

ロバート・プラント Robert Plant

1948年8月20日生まれ。イギリス・ウェストミッドランズ州出身。ヴォーカル担当。早くから歌手に憧れていたが、両親からは公認会計士になるための学校に通わされたという。やがてリトル・リチャードやエルヴィス・プレスリーらの歌唱にふれ、歌手を目指すために16歳で実家を飛び出す。R&Bが流行する中、あらゆる音楽グループでブルース調の歌曲を歌い、その過程でジョン・ボーナムと邂逅。そのドラムさばきに魅了され、1967年末、彼と「バンド・オブ・ジョイ」を結成。1968年8月、自身のライブを見に来たジミー・ペイジと意気投合。ペイジから誘われて、彼の新しいバンド(後のレッド・ツェッペリン)に加入することになる。その際、ペイジにジョン・ボーナムを推薦。2ndアルバムからは作詞にも本格的に手を伸ばし、才能を開花させていく。バンド解散後の1981年3月、新たに「ハニー・ドリッパーズ」を結成。レッド・ツェッペリン時代とは異なる音楽性を探り始める。1985年1月、アフリカ難民を訴えるチャリティーコンサート「ライブエイド」に出演。ゲストとして招かれたペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズとともに一日限りの「レッド・ツェッペリン」再結成を果たす。

ジョン・ポール・ジョーンズ John Paul Jones

1946年1月3日生まれ。イギリス・ケント州出身。本名ジョン・ボールドウィン。ベース、キーボード担当。6歳からピアノを学ぶ一方、ヴォードヴィルショーでイギリスを回る両親に帯同し、あらゆる楽器や楽曲にふれる。14歳時、ブラックヒースにある寄宿学校「クライスト・カレッジ」に編入。同校で正式な音楽教育を受け、聖歌隊のリーダー、及びオルガン演奏を受け持つ。同年、初めて自身のためのベースを購入。15歳になると、バンド「The Deltas」に加入。1964年頃からセッション・ミュージシャンとして活動を始め、ローリング・ストーンズ、ドノヴァン、キャット・スティーヴンス、ジェフ・ベック、ロッド・スチュワートらの演奏に参加。それらの活動の過程で、ジョン・ポール・ジョーンズという芸名を使い始めた。ロバート・スタック主演の映画『大海戦史(原題:John Paul Jones)』(1959)のポスターをフランスで見たことに由来するという。1968年、ペイジが新しいバンドを組むということを知り、妻の強い勧めもあって、ペイジに連絡。後に「レッド・ツェッペリン」と名付けられる同バンドにベース奏者として加入する。バンド解散後もソロとしてR.E.M.やベン・E・キング、ブライアン・イーノらの演奏に参加。

ジョン・ボーナム John Bonham

1948年5月31日生まれ。イギリス・ウスターシャー州出身。ドラムス担当。ニックネームはボンゾ。5歳からドラムにたしなみ、10歳で初めてドラムセットを手にする。16歳で学業から離れると、父親のもとで大工の手伝いをしながら、地元のバンドで演奏活動を繰り返す。16歳でロバート・プラントと出会い、彼の「バンド・オブ・ジョイ」に加入。解散後の1968年、プラントの紹介でジミー・ペイジが新しく作ろうとしていたバンドへ参加。そのパワフルで革新的なドラムさばきは時にペイジ、プラント、ジョン・ポール・ジョーンズを凌駕し、彼らからの絶大な信頼のもと、レッド・ツェッペリンの顔として存在感を増していく。第一級のミュージシャンの顔を持つ一方、愛妻家、家族思いの人としても有名で、自宅を離れてのツアー活動ではひどくストレスを感じていたという。徐々に酒に溺れていき、1980年9月24日、ペイジの自宅でパーティーが行われた際、酔い潰れたまま就寝し、翌25日の朝、息を引き取った姿が発見される。32歳。嘔吐物を喉に詰まらせての悲劇だった。失意に陥ったバンドメンバーは同年12月4日、レッド・ツェッペリンの解散を発表。

STAFF

バーナード・マクマホン 監督、共同脚本

数々の賞を受賞し、BAFTAやEMMYにノミネートされた映画監督、プロデューサー、脚本家。デビュー作『アメリカン・エピック』は、ロバート・レッドフォードが製作総指揮とナレーションを務め世界中で高い評価を得、これまで製作された音楽ドキュメンタリーの中で最も優れた作品のひとつとして、批評家たちから頻繁に引用されている。ミュージカル「アメリカン・エピック・セッションズ」では、グラミー賞、カルガリー国際映画祭の観客賞とディスカバリー賞を受賞した。もともとアイルランド系で、幼い頃から初期のアメリカ映画に興味を持ち、12歳までに8ミリの短編映画を撮影・編集していた。現在はサンタモニカ在住。2017年11月、ジミー・ペイジへ接触することから本格的に企画を動かし始めた。プロデューサーのアリソン・マクガーティとともにドキュメンタリーの「構成台本」、及びそれを絵コンテの形でまとめたものを革製の装丁本として作成し、ペイジに提示。その「正確性」、及び「音楽に焦点を絞った内容」に感心したペイジは、ほかのメンバーの承諾と参加を条件に企画を了承したという。

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